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「沖縄から伝えたいことのいくつか」
このブログを見てくださっている方に、ぜひ読んでほしい文章があります。
私が三線を教えていただいている、東京沖縄県人会青年部の会報誌に掲載された文章です。 ==== 沖縄から伝えたいことのいくつか 沖縄の民は、元来「拒み」を、「逆らい」を知らない民だ。この事の証は、幕末期、開国を前に沖縄に滞在した西欧の宣教師が書き残した逸話にも現代の来訪者の感想にも見られる。その民が、日米両政府が合意した普天間の基地を辺野古に移すという話に、猛烈に反対している。反対するのは、ただ単に騒音、米軍絡みの犯罪、基地起因の諸々の公害を忌避してではない。高台から見ても、波打ち際に見ても、この美しい、自然を豊かに育む、手付かずの海に取り返しのつかない破壊をもたらし、沖縄がはじめて新基地建設を容認することになる辺野古移設に反対しているのだ。また、ベトナム戦争時に明らかになった空爆の出撃基地として沖縄があることに、自身今だ癒えない戦争の傷跡を残す沖縄は、空爆の地に生きる人々をまともに想像し、古傷が疼き、耐え難く、反対に走るのだ。 ある時代に真理とされた概念が、時代を異にすると、その虚実が明らかになることがある。その確たる例は、ベトナム戦争時に、圧倒的な説得力をもち、皆が真理と信じた「南ベトナムが落ちれば、ドミノが倒れるように東南アジア諸国が共産主義に手中に落ちる」という「ドミノ理論」だ。そうはならなかった。 同じように考えてみると、沖縄に米軍基地を置くことの正当性を唱える論者が、多くの論拠の一つに、特に海兵隊の有事の際の「即応力」を挙げる。優れた頭脳が論じ尽くすのだから、素直に納得したいが、論じ尽くした、言わば残滓の中に、疑念が残る。軍隊の出撃は、火事場に急行する消防隊とは大きく異なる。実例が教えてくれる。湾岸戦争、1990年5月イラク軍クエート侵攻、1991年1月 米軍を中心とする多国籍軍イラク攻撃。イラク戦争、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件、2003年3月19日米英軍による空爆「イラクの自由作戦」開始。有事発生と戦争突入時との間にはかなりの時間差があるのだ。「地理的に」、「戦略的に」、(現防衛大臣は)「地政学的に」沖縄の軍事的重要性を強調するが、これらの言辞に得心がいかないでいる。 米国は、日本が唯一同盟関係にある大事な国だ。この認識は大方の日本人と共有するものだ。しかし、沖縄に住むと「米国は一体眞に友好国なのだろうか」との残念な思いを抱かせる事象が日常の中に多々ある。新政権が発足し、「対等な」同盟関係を目指すと知った時、心の中で快哉を叫んだ。サンフランシスコ条約締結で「見捨てられ」て米軍統治下におかれ、基地は「核抜き」「本土並み」との復帰運動の思いは省みられなかった記憶を持つ沖縄は、今度の普天間基地の問題解決に期待を持たされた挙句に失望を強いられることになれば、沖縄の苦悩は深まるばかりだ。 (○○○○ 沖縄在住) 東京沖縄県人会青年部会報誌「だからよー」 2010年 旧正月号/97号 「言わねばならんワニより」より全文をそのまま転載。 === 僕の友達、Nさんのお父さまが書かれた文章です。 年齢をお聞きしたことはありませんが、戦前生まれの方のハズです。 (追記:73歳と教えていただきました) 現在、盛んにニュースで取り上げられている辺野古沖基地建設問題ですが、 1995年に起きた沖縄米兵少女暴行事件(Wikipedia)に端を発した、これは15年にも及ぶ問題です。 いや、沖縄の基地問題全体を考えるなら、戦後65年間、ずっとです。 様々な意見、様々な考え方があると思います。 また関心のある人も、ない人もいると思います。 僕が一番怖いのは、関心のない人が、誰か大きな声でもっともらしい事を言う人の話を聞いて、さもありなんと、わかったような気になって、右から左へ聞き流してしまうことなんです。(もちろんそれは自分自身にも言えることです) ここに、小さな声が届きました。 けれどそこには、とっても大きな意思が、気持ちがこもっています。 どうか次にニュースで辺野古問題を聞いた時は、この小さな声を思いだしてほしいのです。
by harumaki-33
| 2010-02-24 21:47
| 雑記
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